犠牲と研究が生んだ有機農業

農薬と化学肥料を使った「近代農業」の害

犠牲と研究が生んだ有機農業オーガニック農業(有機農業)の歴史は、約70年前から始まったといえるようです。
人々が農業を始めた遥か昔は、農薬や化学肥料を使わない自然農業を行っていたわけですから、有機農業を行っていたことになりますが、「有機農業」という言葉が生まれたのは、1940年以降のことです。
この1940年代は、化学的につくられた農薬や肥料を使った「近代農業」が始まった時代でした。近代農業により、形の良いキレイな作物が常にたくさんできるようになりましたが、農薬や化学肥料を与え続けているうちに、土が病気になりやすくなり、さらに強い農薬や肥料が必要になっていく悪循環が起こるようになりました。
また、農薬や化学肥料を扱った農家の人たちの健康にも被害が起こり始め、やがて土、大気、地下水が汚染されていることがわかり始めました。そして、公害や多くの人々の健康被害が次々と問題になってきたのです。

日本の有機農業のはじまり

962年には、アメリカの生物学者レイチェル・カーソンが「沈黙の春」」(Silent Spring)を出版し、化学肥料や農薬を使った農業が環境を汚染し、汚染された自然環境と動植物を通して、人の体にも被害をもたらすという危険性を訴えました。この本は日本にも紹介され、殺虫剤、除草剤、多くの化学物質が、世代をこえて環境や生き物に影響を与えると警告しました。

日本では1960~70年代に、公害病といわれた水俣病、イタイイタイ病などの、深刻な健康被害が次々と起こりはじめます。
そうした深刻な事態を受け、農薬や化学肥料に頼りすぎた近代農業を続けていては、農地がだめになるだけでなく、安心して口にできる農作物が作れなくなるという危惧を抱いた人たちが、「昔のように農薬や化学肥料を使わない農業を見直そう」と、さまざまな自然農法に取り組み始めました。
そして1974年には、作家の有吉佐和子さんが「複合汚染」を新聞に連載したことで、有機農業が広く知られるようになり、有機農産物や自然食に興味を持つ人が増えていきます。

1971年に設立された「日本有機農業研究会」では、有機農業の推進のために、生産者と消費者、研究者が協力して活動を行ってきました。この研究会の基本的な活動の指針になっているのが、生産者と消費者の提携方法をまとめた「提携の十か条」です。
「提携」は、単なる「商品」の産地直送や売り買いではなく、人と人との友好的つながり(有機的な人間関係)を築くなかで進めます。「農産物の選別・包装を簡略化する」、「自主配送を原則にする」、「話し合って価格を決める」・・・など、作り手と食べる側が助け合いの関係を築いて、有機農業を推進できるようにと努力してきました。

この連携関係は、日本の有機農業の拡大をさせるための、大きな役割を果たしてきたといわれています。

(参考:本「リアル・オーガニック・ライフ」須永晃子著、「日本有機農業研究会」